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くうねるあそぶ。つながる。


 精神科医の山登敬之さんと「子どものこころをまんなかに」という対談をやっていて、山登さんから「子どもにとって遊びとは、探索行動なんだね」と教えられ、えらく腑に落ちたのです。そうか、探索行動なのか……ん? そう言えば、昔、「くうねるあそぶ」という広告のコピーがあったな、そうそう、糸井重里の日産セフィーロだぁ、と、いろいろなことを思い出しました。

 

 さて、ここで話したいのは「くうねるあそぶ。」というコピーに秘められたヒミツについて、です。っていうほど、大袈裟なものではないですが。

 

 

 食う(栄養摂取)、寝る(脳のリフレッシュ)、遊ぶ(探索行動)

 生まれたばかりの人間は、まず栄養を摂取して、寝ることで脳をリフレッシュ。また起きて、栄養摂取して、そして、あちこちを探索して世界を広げていくわけです。「食う」と「寝る」が生命体としての基本だとしたら「遊ぶ」は、人間らしい探究の方向性です。空腹だからあちこち食べるものを探してまわるということではなく「いったいこの世界はどうなっているのか?」という知的好奇心をふくめての「探索=遊ぶ」です。

 

 でね。「遊ぶ」のつぎはなんだろう? 

 

 くうねるあそぶ。食って寝て、探索する。人間の基本的行動について、およそ30年前に糸井重里さんはコピーに書いたのです。その時代はバブルの終わりごろで、基本的にまだ景気はよかった。みんな、あくせく仕事に追われるなんてことやってないで、もっと人生をエンジョイしなよ、みたいな。糸井さんは1982年に西武百貨店のキャッチコピーで「おいしい生活」と書き、そのあたりからバブルがはじまり「くうねるあそぶ。」が1989年……ゆっくりとバブルは終息していく。

 もう無駄なことをして生きる時代ではないんじゃないか? 「くうねるあそぶ」という基本的なところに、ぼくたちは立ち返るべきではないか? という糸井さんの感覚です。

 学生時代に全共闘、バブルの時代の30代を経て40歳を過ぎて「くうねるあそぶ」というコピーで人間の根源的な行動について記した天才・糸井重里は、やがて、「そのつぎ」に思い至ったのではないか?

 

 くうねるあそぶ——そのつぎにくる生きかたの模索、ではないでしょうか。

 

 

 みなさんは、どう思いますか?

「くうねるあそぶ」の「つぎのこと」はなんだと思います?

 

 もしかすると、その「つぎのこと」を仕事にできている人は幸福なのではないか、と、そんな気さえするのですよ。人生の重要なテーマが隠れているのではないか、と。

 

 私は「くうねるあそぶ」のつぎに「つくる」とか「書く」を思いつきます。たぶん、私自身がそういうことが好きだし、それを仕事にしたいとずっと思ってきたからです。

 あと、「動く」「踊る」とか。これってスポーツ選手やダンサーなどを想像した答えです。「飛ぶ」とか「走る」「投げる」。

 芸能系で考えると「歌う」「奏でる」「絵を描く」「語る」「演じる」「笑わせる」など。技術系だと「ためす」とか「覚える」とか?

 

「くうねるあそぶのつぎにくるもの? そりゃオメー、やっぱり『勝つ』しかねぇだろ?」

 などとおっしゃる格闘系の人もいると思います。

 

 言葉のひとつひとつの意味を考えると、たぶん、ダブっていたりチグハグだったりするものもあるかもしれません。なんか決定打でもないような気もします。

 

 と、そこで。

 私はひらめいた。

 

「つながる」です。くうねるあそぶ、つながる。

 

 過去30年を振り返っても、コンピュータの進化とかインターネットとかメールとか、SNSとかの役割というのは、まさに「つながる」に向かっています。

 

 あそぶ——世界を探索して、世のなかを知る。好奇心とか、自分が向かうべき方向性を自分で発見するということです。無理したり誰かの言うことを聞いてもダメ。あくまで、自分の感覚で、世界を探っていく行為。それが「あそぶ」。そして、つぎは「つながる」。

「くうねるあそぶ」を繰り返している世界中の人たちと「つながる」わけです。

 

 そうか、糸井さんは、あの時代にこのことに気づいたのか。だから「ほぼ日」なんだな、と。ようやく、私は、そういうことに気づいたのです。

 

 そして、ああ、自分はその「つながる」を、ずいぶんとおろそかにしていたのかもしれない、と、いまさらのように悔いているのですね。大手出版社にいたので、あたかも、読者たちのつながったような気がしていた。けど、それは、私がつながっていたわけではなく、媒体や会社がつながっていただけで……。

 

 そんな反省をこめて、こうやって自分のサイトをつくって「つながる」を取り戻そうとしている私でございます。

 

 というわけで、みなさんも、ぜひ「くうねるあそぶ」の「つぎ」はなにか考えて、知り合いたちにも質問してください。その「もうひとつ」は案外、その人の仕事の結びついてることが多いのではないかと推察します。

 

「つながる」ということに真剣に取り組んで大成功したのが、GoogleでありFacebookでありTwitterであるのは言うまでもありません。

 基本的なところで「個」であるアメリカ人は「つながる」はとても自然な行動です。なのでインターネットが登場したとたん「うん、これは、つながるのに便利だね」と本気で考えて、取り入れることができた。

 でも、小さな島国での共同体に慣れている日本人は「個」が希薄であるから「つながる」の感覚に乗り遅れて、バブルのあと、失われた30年を過ごしているのではないか……などという考察も、今後、ゆっくりとやっていきます。