ロレンツォ・タリアーニ、写真家。1983年11月7日、イタリアのフィレンツェ生まれ。37歳。
幼い頃から家族のファッションスタジオで働いていた。そこで写真のさまざまなこと——ライティングの技法、モデルとの呼吸、カメラ技術、現像などを学んだのだろう。リチャード・アヴェドンとアンドレアス・シェーディンのスタイルに触発された、と、彼のポートフォリオには語られている。
モノクロ写真のすごみ
2010年に写真家としての活動をスタートさせる。
彼が撮る写真は、モノクロが多い。ファッション写真だけではなく、ヌードも、自分自身の肖像写真も撮る。被写体を美しく撮るだけではなく、彼自身の美意識が濃厚に反映されている。写真のなかに、圧倒的な「彼自身」が存在する。
「モノクロ写真のおもしろさ」とでも表現したい作風である。モノクロだからこそ表現できる作品になっているところが、彼の写真の魅力である。
色ではなく、光と影。淡いトーンもあれば、強いコントラストもある。女性の肌も、岩肌も、すべてが光と影の作品として提示される。
「写真家——それは、脳と目と心を同じ視線に置くことである」と、彼は言う。見えるものだけではなく、表現したいもの、感じたもの、すべてを写真にする、ということだ。
モノクロにしか表現できない世界
そもそも、モノクロ写真は、それが発明されたときは「モノクロしか撮れない」ものだった。当たり前だけど。
黒から白への輝度情報のみで表現されている……というと、あたかも「それを狙っている」ように思えるが、実のところは、輝度情報のみを定着させることが、写真の技術的なスタートということなのである。
要するに色をつける技術がまだないから、モノクロ。
色がないぶん、非現実的である。
最初からモノクロしか撮れないので、写真家たちは、そこの部分に注目して作品をつくってきた。階調の表現、黒と白をどう表現するか、撮影時からプリントの焼きかたなど、さまざまなことを試してきた。
写す、というより、表現する。
モノクロ写真は、色がないぶん、灰色の陰影で色彩を表すのだが、当然、何色なのかは表現できない。
色の情報がない、ということではなく、モノクロームの世界がそこに存在する。それは、現実に目の前に見えることではなく、つねに、写真家の意図する世界が浮かびあがるということでもある。
そういうわけで、モノクロを得意とする写真家が存在する。ロレンツォ・タリアーニは、その代表だろう。彼のインスタを眺めていると、モノクロ写真を撮るために、撮影の場所と時刻が選ばれている気さえする。
なにかを写しているのではなく、表現している。モノクロだからこそ、そのことがよくわかる。彼がシャッターを押した瞬間、世界は光と色彩にあふれているはずである。つまり、仕上がった写真のようには、世界はそこに存在していない。
ロレンツォ・タリアーニ。カラーもいいのよ、というのも、1枚……。