JAFストーリー

013 ドリフト

 

 友理奈さんが結婚したのは、1998年。

 

「主人も忙しいひとだったので、帰ってくるのは午前様が当たり前、しかも同じ会社の私の上司だったので、事情もわかってるから文句も言えないという……」

 

 友理奈さんは、ETC車載器やタクシーメーターなどの開発の仕事をしていた。

 2000年、クルマ好きの友人に相談して、自分のクルマを買おうとショップに行った。

 

「ちっちゃいころからスポーツカーには憧れはあったんです。スポーツカーはぜったいリトラクタブルだと思ってたので、ああ、これがスポーツカーだって思って、すぐに決めたんです」

 

 1989年式の1800㏄。JAFが主催するメンテナンスの講習会などにも参加した。ある日、JAFの講習会だと思って行ったサーキットで、実はやっていたのは別団体のドリフト講習会だったことがある。

 

「みんな煙が出て走ってるけど、ああいう練習があるのかなって」

 

 ドリフトは、路面をスリップしながら走る。その派手さを競う。

 

「おもしろかったですね。クルマの挙動がなぜそうなるのか、とか、すごい勉強になって。それから行くようになったんです。でも、古いクルマでそういう無茶なことをしたので、負荷がすごくかかって、当然なんですけど、サーキットに行くようになってから、あっちが壊れ、こっちが壊れ……」

 

 2005年。走行会の帰り道。東名高速下り、富士IC手前。

 

「その前から、2週間にいっぺんぐらい、どこかしら、たとえばパワステのオイル漏れとか、ラジエータとか、電気系統も全部交換したり……それでも愛着があるので、がんばって乗り続けようって思ってたんです。でも、このときはさすがに、走ってて白煙が出たから、これはちょっとまずいなって……」

 

 路肩に止めた。エンジンを切ると、つぎにはもうかからなかった。

 道路公団、JAF、保険会社に電話した。

 

 必要な荷物をまとめ、水筒のお茶を飲みながら、車外の安全な場所でJAFを待った。5年の間に、そういうことにも慣れていた。

 

 高瀬春樹隊員が来た。すぐに、積載車で、富士ICまでの数キロを運んでくれた。

 

 友理奈さんはずっと無口だった。エンジンがダメになった。買い換えるしかないのかなどと、あれこれと考えていた。

 

 結婚して3年で別居した。

 

「ひとりになったから、さびしいというのもあった」

 

 と、彼女は言った。だからクルマにのめりこんだのかもしれない。

 

 このトラブルの2年後、6年近い別居生活のすえ離婚した。

 

「大丈夫ですか?」

 

 隊員が、最後に、そう声をかけてくれた。そのときのオレンジ色の服を思い出します、と、友理奈さんは編集部にメールをくれた。

 離婚の翌年のことだ。

 

 そうやって彼女は、そのころのことをみんな、思い出に変えた。